Développement Durable par Hugo Hass| Flat magazine
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海辺の春

ユーゴ・ハース

​建築家

 多くの人が同じ状況だと思うのですが、私は今、私生活でも仕事においても、自分の日常の行為が環境に及ぼす影響について考えています。私達は、私と妻と娘の3人で、パリの小さなアパルトマンに住んでいます。私は建築家で、ものを造ったりもします。自分の手や体を使って仕事をするのが好きです。

 しばらく前からそこにあったけれども手つかずでいた疑問に対して、ようやく自分なりの回答をしたいと思うようになったのには、様々な要因があるように思います。この永遠の問題は常にそこにあるのです。どういう事かと言うと、現状の主な環境問題について、知ってはいるのに、地球が与えてくれる資源が無分別かつ前例のないリズムで枯渇していくのを食い止めるために、自分の習慣を抜本的に変えることが出来ないでいる。日常生活のリズムにのまれ、昨日より今日はもっと忙しいように感じる。やれなければいけないリストがいつもあり、なんとか持ちこたえているけれど、常に忙しい。都市生活の特権ですよね。新しいプロジェクト、新しい出会い、新しい興味。そして、根底にある問題は、静かに私達を待ち続けているのです。次の爆発が起きるまで。

 私ももうすぐ40歳で、40歳の節目というのは、周りの友人曰く、人生の在り方について色々自問する大変なステップらしい。全員がそうではないかもしれないけれど、誰もが自分の危機を迎える。静かに、衝撃的なことなく人生を過ごすことも出来るかもしれない。たぶん、この方向が良いのだろう。

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 21ヶ月前に子供が生まれて(溺愛しています)、17年前に学生時代の友人と立ち上げた会社を辞めました。私のこれまでの主要なキャリアだったのですが。すでに2つの正真正銘の激変です。新しい価値観、疑問、責任を取る事が沢山ある、まあ、危うい環境にいた訳です。

 そこに、集団で体験した隔離、外出禁止措置です。日常の習慣を停止しなければならない、一度立ち止り自問しなければならない。私たちの日々を満たすもの、一緒に過ごす瞬間について考え直す。受け継いできて、こんなものなのだろうと思い、自分で決めようともしていなかった、仕事とプライベートの線引きについて考え直す。

 海岸の近くで外出禁止期間を過ごしました(イヴェット、家をありがとう)。自然豊かな海岸沿いを通って海まで散歩することが、毎日の必要事項になりました。死活問題に関わるのではないかと言う程必要で、同時に、深い喜びの時。そして、日々、植物は変容していきました。すべての花、木、ハーブには、彼らの瞬間がありました。鳥達とウサギ達もいました。これほど力強い春を過ごしたことはありませんでした。シティーボーイの私は、遂に目を覚ましたのです。娘がこの体験をしてよかったと思っています。この自然のあり様を出来るだけ体験したい。

 

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 自分達の痕跡がすべてポジティブであるようなラディカルなライフスタイルに、急に変えることは出来ないと思っています。でも、この方向性で生きたい。何世紀にも渡り、自分の痕跡を残そうと躍起になっていた人間が、突然、良心的な登山者が推奨するような、自然の中で「痕跡を一切残さない。」という原則に適応できるかもしれないと考えるとおかしいですね。2050年以降、人間の活動の痕跡が一切見つけられない将来の考古学者をちょっと想像してみてください。狩猟と採集の民であった私達の祖先や少数の文明だけが知っている、自然との最高の共生の状態を再び見つけ出した状態。まあ、それは不可能ですよね。そして、望ましくないかもしれない。じゃあ、自分には何が出来るのだろうか?

 建築家としては、私達の活動は環境に悲惨な影響を与える可能性もある。材料とエネルギーが、あまりにも浪費され、もはや、無駄遣いが許されなくなっている。私は、まず、建造物の耐久性を考えます。私達は、人間の寿命を超え、何百世代に渡って異なるユーザーに対応できるような永遠の存在という古典的な視点と、まったく正反対の視点、つまり、適切な時期に分解され、消滅することで、その周囲の環境と土壌をそのまま豊かにする軽くて期間限定の建造物、という2つの視点の間で揺れ動きます。生物多様性をもたらす栄養のある廃墟とは?

 このジレンマが解決するのを待っていますが、未使用の構造があり、それに改修の余地がある限り、新しいものはもう建てたくないと思っています。建築レベルでのリサイクル。まずは最初の一歩から。この考え方は既にありましたが、現代人の私達の考え方では全くありません。費用が嵩むとか、建築基準に合わないとか言われるのです。でも、常に世界を自分たちの都合に合わせて曲げるのではなく、適応する努力をする価値のあるテーマだと思います。

 

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  次に材料について。持続可能かつ再利用された、または、リサイクル可能な地域の資源の使用を勧めなければならない。普通の材料、そこにあるもの、身近にあるものにはロジックがあります。偶然そこにあるものなど、ないのです。他の場所よりも明らかに豊かな場所もありますよね。だから、成長に何百年もかかるものより、成長が早いものを優先する。でも、建築は制約で成り立ち、何にもまして、常に文脈に沿ったものであるべきです。また、必要に応じて分解し組み立て直す事が出来る、建築技術における可逆性の発展にも期待しています。

 そして、使い方とエネルギー、入るものと出すものという、まだしっかり理解していないテーマがあります。まずは、私達のニーズを減らし、消費を抑え、特に、消費するものの流れと、それがどこから来ているのかを理解する必要があるように思います。目の前にあるものをただ消費することは、もう出来ません。全ての資源は大切に使われるべきで、私達は命にありがとうと、言うべきです!(妻の万央里が、食事の前に、その命を差し出してくれた魚に感謝するように)水はどこからきて、どこにいくのか?どうやって暖めるのか?電気はどのように必要なのか?調理のためのエネルギーは何を使うのか?食材は自家栽培?地元の生産物?私達のごみは腐葉土を作るための専用場所に?そうなのです、私はパーマカルチャーとエコシステムの構築に興味があります。はい、そして、都市生活から田舎暮らしをするかもしれないです!現在、世界人口の半数以上が都市に住んでいるということは、田舎をどのように活かすかが、新しい都市設計を徹底的に考える上での要素ではないかと思っています。バランスを取り戻す事。どちらかが無ければうまくいかないのです。

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 私の建築事務所では、私達と同じようにもっと知り、より多くのことを起こしたいと感じている人達のために、このような課題に関連する様々なプロジェクトに取り組んでいます。でも、この課題をもっと自分自身のものとして向き合わなければという思いがどんどん強くなっています。自分達の場所を自分の手で造る。全てを理解し奥行きを感じるためにも。

HUGO HAAS STUDIO

​パリにて

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