Confinement 料理考
室田 万央里
料理人
以前私は小麦粉を使う料理が苦手でした。
料理を一応生業としている割に計量するというのが大の苦手な致命的にズボラな性格により、大さじ二杯と言う作業ならばギリギリできても、小麦粉135gとかもう無理。秤を取り出しボールに小麦粉を入れ液晶に表示されるグラム数とにらめっこしながら、128g...132g....後3g....と注意深く小麦粉を足してぐわあやってられっか超めんどくせえとなるので、小麦粉を計量せねばならない料理すなわち麺類パン類粉物レシピを思い切り敬遠していました。
あれは計量が出来る選ばれし者にのみ許された料理だと思っていた。
パリが封鎖されるかも、という噂が流れてきたのが大統領の演説の2日前。
次の日の朝には猫二匹と娘とTシャツ三枚パンツ3枚と多少の食料を車に積み込んで慌ててパリから出ました。知らない家で夜泣きイヤイヤ大暴走の娘、洋服ダンスの下から出てこない猫、それでも仕事で忙しい旦那、そしてすべての仕事がキャンセルになった私。ニュースを見れば日々恐ろしい数で膨れ上がる感染者。いつになったら帰ることができるのかもさっぱり分からない。
うわあ落ち込んできた。お、美味しいものが食べたい、、、、。
なぜか無性に、おうどんが食べたくなりました。
小麦粉はある。醤油もある。出汁のパックもある。ああでも、秤がない。
滞在していた家のキッチンにある料理道具は最低限で、秤がないのです。
おうどんが作りたい。でも計量ができない。おうどんが打てない。
いやほんとに打てないのかな。
以前仕事でうどんの試作を繰り返していた時、うどんというのは昔女性が農作業の間に打つもので、女性の力ではこねるのが大変なので足で踏むと言う方法が使われた、と言うようなことをどこかで読んだのを思い出しました。その時にうどんを打っていたお母さんは、秤なんか使ってたんだろうか。加水率がどうとか、塩は水に対して何%か、とか気にしてただろうか。いや、絶対気にしてない。打てる。秤なんかなくても絶対打てるよ。
大きなボールに粉を入れて、とりあえずコップに多めに水をいれ、大匙一杯の塩を溶かし、少しづつ、少しづつ以前うどんを作った時を思い出して粉と水を合わせていきます。
こんなもんかな、もう少しか。あれ、私今ものすごく自由だ。とおもったのです。
秤がないと作れないとずっと、ずーっと思っていた粉物料理の呪縛から解き放たれたと言いますか。それからは毎日が楽しくて仕方がありませんでした。だって粉と水さえあればうどんだって、餃子の皮だって、なんならビャンビャン麺にラビオリまで世界中の粉物料理が作れるんですから。勿論秤がないので全部目分量。頼りになるのは感覚のみ。そしてこんなもんか、と作った物は実はああもうちょっと水を少なくするべきだったな、とか勿論どんぴしゃりには行かないのですが、それは次に生かせばいい。自分の手で、指でおぼえていけばいい。この自分と小麦粉の間に秤というものを介さない事で得られる自由さと自分の感覚を信じる心強さは衝撃でした。
パリに帰りいつもの日常に戻りました。相変わらずなんだか窮屈で足元がおぼつかない都会暮らしです。それでも自分と自分が必要としている物の間に介在しているものが少なくなればなるだけ私達は自由だと気づいた私の料理は、もっというと私の生き方は、コンフィヌモン(ロックダウン)前に比べて少しだけ風通しが良くなった気がします。
パリにて