伝統と表現
辻 浩喜
私は有田にある辻精磁社という家に生まれました。いま、有田に磁器の原料が見つかって約407年目になりますが、泉山に磁器を生産するための陶石が見つかってから40から45年後に会社が始まっています。宮内庁御用窯元として現在は父が15代目を務めています。最初は普通の窯焼きでしたが、現在と近いものが実は1660年頃には出来ていて、最初の頃から精巧なものを作っていました。精巧というのは、じぶんのイメージでは、民芸ではなく工芸に近いもの、つまり、1mmの誤差を許すか許さないかという風に考えてもらえれば分かりやすいかなと思います。
皇室は、神でしたから、より精巧で白く光沢のある磁器を追求し、9代目が独自の焼成方法「極真焼」を発明しました。製品と同じ磁器土でさやを作って、その中に製品を入れて、釉薬で密封して焼く方法です。製品をさやから取り出すときは、金槌でさやを割ります。最初の頃は、製品も一緒に割ってしまうことも結構ありました。製品を密封して、外からなにものも侵入させないようにして焼くのだから、ほんと、結界を張って焼いている感じです。
生まれた環境がこのような環境だったので、実は僕は、アフリカの原住民の人がつくる無骨でかっこいい、へたうまみたいなものへの憧れがあります。自分には作れないなって。
だから、民芸もすごく好きです。
原材料について
陶石は天草の石を使っています。
最初は泉山の石を使っていましたが、明治終わり頃から天草陶石を使うようになりました。だから、僕の先代達は、御用窯用専用の土を使っていました。当時は辻土と呼ばれていて、より白く、こしが強い(ねばって耐えてくれる)特上の土を割り当ててもらっていたのですね。
これは、当時の日本人の憧れが「より良い白」だったからではと思います。すごく当時の白への憧れは感じます。朝鮮半島ではすでにできていた訳で、是が非でも白い磁器を日本でも作りたかったのでしょう。
でも、白さについて自分の中でも考えが変わってきていて、辻精磁社は、主に白と青で焼き物を作るのですが、一番良い白と良い青を使ったからといって、よいものが出来る訳ではないです。白くない白でも、青が入ることによって、白さが増すこともありますよね。だから、逆に青を追求することもあります。赤が入ることもあるので、そうすると赤と相性の良い白を選びます。
泉山の陶石について
有田で、泉山の石を見直そうという動きがあって、前にも、個人的には泉山の土を使ったことはあったのですが、会社として6点くらい15㎝くらいの花瓶を作りました。
5年、7年、10年とか寝かせてあった泉山の石をみて、触ってみて、手にしっくりきた、
なめらかな7年の石を選びました。
色は、泉山らしいグレーで、ぱさぱさしていて、そして、なにより伸びない。
「本当につくりにくい。」
「土がのびないし、無理がきかない。」
「土の限界がすぐきちゃう。」
「割れやすいし。」
割れるってことは、土が無理しちゃってるということなので、普段やらない作業が増えました。
例えば、乾ききっていない時に削る、ゆるどり、という作業とか、本当に無理が効かないので、
後は素焼きの温度も変えたりしました。
割れないというのが、土とほどよく付き合ってるってサインだと思うのですが、
泉山の石はデリケートな女、でした。ほんと。
ものづくりについて
職人の目とアーティストの目と、自分の中に存在していて、辻精磁社という会社の制作の時は、完全に職人の目として活動しています。皇室があって、辻精磁社としての核の部分が出来上がったと思っています。だから、制作で迷った時に戻ることが出来る原点があると思っています。職人としては、完成形のゴールがあって、父もよく言いますが、「品があるな」って、見た人に感じてもらうことです。これは、自分では言えない言葉なんですよね。
自分の作品を制作する時は、アーティストの目なのですが、そのアーティストの目を出していいのかどうか、自分の尺度を出して良いか、というジレンマもありました。
アーティストとして表現したいと思うテーマは、広く言えば「自然」です。例えば、海に行くと、海を飽きることなく眺めることができます。
なぜ、飽きずに海を見ることができるのだろう?
なぜ、自然って飽きないの?
どうして海が好きなんだろう?
そんな風に引っかかることが沢山あります。そんなことを自問自答をしながら、自分と向き合う時間が出来るのです。
最近のテーマで、「貝殻」をテーマにしたものがあるのですが、「なぜ、沢山ある貝殻から、僕はこの貝殻が好きなのだろう」って。
作ることを通して、自分の中に引っかかったものと向き合って、考えて、自分の内側に潜っていく、
そして、自分の中の答えを発見する。好きか嫌いかということは問題ではなくて、自分の感情に引っかかるものを作りながら見ることで、もっと自分で自分のことを知る、自分のことを分かっていく。
制作は僕にとってそんなプロセスです。
創ることも好きだけど、創ることって考えることの繰り返しですよね。
だから、僕の作品を誰かが見て、自分のペースで自分のことを知っていくきっかけになる、そんな作品を作ることが出来たらいいなと思っています。